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【9月号】"地図より羅針盤を持つ"

小さいころから地図が大好きでした。家には、世界地図があって、いつもそれを見てうっとりしていました。「アンタナナリボってすごい名前だな!」(マダガスカルの首都です)。「セーベルナヤゼムリャとかゼムリャフランツァヨシファとかロシア語って長い名前つけるな!」(ロシアの北極海に面した島々です)など、その地方の名前を見て、いろんな想像をしていました。


地図の良さは「全体を俯瞰する」ことができることです。今自分がどの位置にいるのかがわかる。あとどれくらい歩いたらたどり着けるのかがわかる。地図に似ているのは、計画です。たどり着くべき点を置いて、そこにたどり着くにはどうすればよいかの手段を考える。

農業を始めてから、地図的な俯瞰をするのを半分やめてしまった感があります。もちろん栽培計画は緻密に立てるんです。それに反して、事業計画は「これくらい売れたらいいなあ。」のざっくり感覚。この頃の僕は、五か年計画とか全然できない。だって、前を走っている先輩方も、当時、有機栽培で食っていける感が全然ないんですもん(笑)。自給自足、とかの方法もあるし・・・とか計画から逃げる思考も自分の中にちらほら。

何よりも、計画を立てようとすると答えは「無理」に行きついてしまうのです。当時、1000万円を有機栽培で売り上げた人は伝説的な存在で、「絶対無理だ」と僕も思っていたのですが、8年目くらいで自分でもびっくりしたのですが、届いてしまった。ところがどっこい、この売上にたどり着いてみたら、「生活苦しいじゃん!」でした(笑)。あれ?ここから先は、道なき道を自分で行くしかないのか。全体が見えないのだから俯瞰のしようがない。

経済学部出身で、一応経営学なんてのも、大学で学んだのですが、実際農業をやってみたら事業計画というものがしっくりこないのです。仕方ないので、心から尊敬できる人、面白い人、何かやりそうな人、そういう人と一緒に何かやる、という方向に行きました。有機資材の出会いなんかもうれしいですね。こんな素晴らしい堆肥があったら、この作物をこんな味に仕上げられる!とか。素晴らしい品種との出会いで道がひらけたこともあります。

数年前のこと。ほぼ同期で、茨城県で有機栽培をやっている久松農園の久松さんという優秀な親友がいます。「事業計画を立てているんだけど、行きつく先は『無理です』になってしまうんだよね。その時、萩さんを思い出した。萩さんだったらこの場面で計画なんか立てないなと思って、計画作成やめた。」とメッセージをもらいました。慶応大学出身の彼でさえ。まったく同感したのを覚えています。基本無理なことをやっているんですから。そこで、コロナです。春にコロナ騒ぎで、先行きわからなくなりました。これ、のらくら農場の得意分野です。


試練は1月から始まっていました。雪がまったくなく、超暖冬。玉ねぎの7割がとう立ちして400万円分くらい廃棄となりました。春から初夏にかけては、まったく雨が降らない。砂漠のような土になっていきます。7月。戦後最も少ない日照と、戦後最も多い雨量となりました。雨が降らなかった日はたった二日。一転、8月は雨が降ったのがたった二日の猛暑。(それも夕立がパラリ程度)

事業計画は立てないが、栽培計画はとてつもなく超緻密にたてるのがのらくら農場なのですが、この計画を一気に変更できるのも僕たちです。「これだけ7月が雨続きなら、日本中の生産者が畑に入れない。つまり9月からの野菜の準備が全くできない。9月から野菜不足になる。取引先さんもパニックになるから、秋野菜大幅変更して備えよう。」と、決断しました。作戦変更に対してメンバー全員が本当に頑張ってくれました。長男がコロナで大学が再開せず、戻ってきて、手伝ってくれています。地図にはないことです。


誰だったか忘れてしまったけど、いい文章を見つけました。「地図よりも羅針盤を持とう」。この先、世の中がどう変化するのかわからない。未来を語るフューチャリストの出番ではない。全力で「今」の判断をしていくしかない。その分野では、自分よりも優れた羅針盤を持っている人と出会えたら、自分の羅針盤よりもその人の羅針盤を信用する。

令和元年東日本台風で農産物が吹っ飛びました。長いもが害虫になすすべなくやられてしまいました。(今年は長芋ばっちりです)累計800万円分くらいの農産物がやられて、冬が暇になりました(笑)。お!時間ある!と農場の本を出すことにしました。決まった出版社さんが3月末に倒産!でも素晴らしい編集者さんが同文館という出版社に持ち込んでくださって、先日出版再決定!地図なんか持っていたら、神経もちません。その都度方向を確認する羅針盤こそが、このコロナ禍を鼻歌歌って生き抜く重要な要素なのかなと思う日々です。


紀行

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