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【11月】ブラックマーケット

のらくら農場で働かせてもらいはや一年。力不足を痛感しながらも、全力中年しています。日々様々色んな大変が押し寄せますが、やっぱりこの大変は大好きです。施肥や播種、畑の作業等。一歩踏み込んだ仕事にも加えて頂き、同じ畑同じ作物でも、見える景色が大分変わってきました。そんな日々の中、収穫中や選別中に、気になってしまう事があります。それは、「規格」について。


雨の前にギリギリ施肥した畑、あの小さな種が、育苗チームが育ててくれた苗が、干ばつや天候不順の中こんなに大きく育ってくれた。だけど規格外で出荷できない。ちょっと傷があるだけで......あと10グラム大きければ、小さければ......虫食ってるけど......。規格って何なんだ?誰が決めたんだ?なんでだめなんだ?こんなにおいいしいのに!くやしい......分かってはいるけど頭の隅に居座るこんな思い、違和感。


ここまで厳密な規格についての成り立ちについて、調べてみると、高度経済成長期、大量消費、工業化からの流れからきていることが分かりました。その中で気になった一文がありました。「サイズ分けされていれば、流通上も都合がいい。商品のばらつきをなくすことで梱包や運搬がしやすく、どの産地から来たトマトも一緒にスーパーに並べられるというメリットがある。」主語が都合になっている。人や作物が置き去りにされている。そう感じました。はじめはそうではなかったと思います。同じ品質のものを、大勢に、そして安く供給する。戦後日本の努力の賜物ではないかと思いました。辛かったぶん、家族や子ども、孫には辛い思いはさせたくない。そんな誰かを思う気持ちが根底にあったんじゃないかと思います。なぜかじいちゃんやばあちゃん、おじちゃんおばちゃん、両親の顔が浮かびました。規格とは本来、大事な誰かを守る為にあるんだと気づきました。


フランスの大手スーパーが催したキャンペーンの名前が題名の「ブラックマーケット」です。フランスでは出荷野菜のサイズが法律で厳しく定められていて、規定のサイズに収める為に農薬等も使われているそうです。農薬を使わずに育てられた規格外の野菜のみを販売する企画。スーパーの一画に設けられた市場は黒で統一され、まるで非合法の薬物や武器を売るようなブラックな雰囲気を演出していたそう......「この違法トマトを食べ れば、あなたも法律の不自然さを感じられるはず」とか「違法バターナッツかぼちゃを産み出したゴットファザー」という具合に。自然のものが不自然なものとして扱われている世論へのアンチテーゼもありながら、このキャンペーンの最大の目的は、「自然な野菜のサイズを規制する法律を妄信していいのか?」「法律(ルール)にそぐわないものは全て悪なのか?」と思ってもらうこと。法改正にも影響を与えるほど反響が大きかったそうです。


みなさまやお取引先様の理解もあり、一般に流通している野菜に比べると規格はゆるやかだと思います。両親も専業農家に転身し奮闘しているので、規格の厳しさは分かっているつもりです。ゆるやかなのは、目には見えない生産背景や味に焦点を合わせて下さるみなさまのおかげです。ありがとうございます。


安心なもの美味しいものを食べてもらたいという生産者。万全の状態で届けたいと考え運ぶ人、売る人。そして、手に取ってくれる方、口に運ぶ方。三位一体、みんなの為の規格であったはずなのに、バランスが崩れ本来の意味が失われている。莫大な廃棄や偽装。誰かを追いつめるところまでいっている。土から産まれる野菜が生き物でなく物として扱われている現状。野菜が自然の中で育まれているという事すらマイノリティな考えとなっていること。当たり前ってなんなんだ。ぼくが感じていた違和感はそこだったのかもしれません。違和感の正体が分かったところでぼくに出来る事を考えました。それは現状を批判や否定するのではなくて、憂う事でもなくて、受け入れて原点を見つめる事。本質は何なのかと考える事をやめ無い事、忘れない事、思い出す事。そして、手に取ってくれたみなさんと、食卓に並ぶ野菜の姿を思い浮かべながら、心を込めて選別すること。


ブラックマーケット=闇市

戦後間もない日本で、米や食べ物等、日々の糧となるものが、取り締まられ、管理そして規制されていた時代があった。そんな風潮に半旗を翻すように当たり前に必要なものを売る。衝動的に沸き上がって出来上がったであろう、人情に溢れた非合法の市場。そこは闇という名のつく、ある意味光の市場だったんだと感じます。


タクヤン

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