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【2023年4月号】「農家の家にある物」



↑3歳の味噌づくり


季節の変わり目、春の気配もようやく整い心浮き立つ今日この頃、僕は堆肥を撒いています。


 さて、今回のつぶやきを担当することになったのですが、書くネタがありません。のらくら農場スタッフとなり4年目。クワで土を切り、種を播き、知識を増やし、色んな経験を詰め込んだ3年間のはずなのですが、特に書くことがないのです。毎日は刺激的で、農業は楽しいです。スタッフとして、とても充実した毎日を送っています。ただ、つぶやきに書くとなると、不思議とないんですよね。なんですかねぇ。

 農場スタッフとしてこれ以上書くこともないので、この先は農家の息子として書こうと思います。



 こんにちは!萩原駆と言います。スタッフとして働いて4年目、のらくら農場に生まれて24年目になります。


 みなさんはどんな幼少期を過ごして来ましたか?僕は木刀を片手にドラクエ好きの友達と草をなぎ倒していました。自分の身長より高い雑草を倒すことで自分のレベルを上げ、3時のおやつを食べる事でHPを回復させていました。真夏の日に「山の奥はどうなっているのだろう。全く別の町があるのかな。いや、そもそも今見えている山は山ではなくてただの絵かもしれない」と思い、山を越えようとしたこともあります。頂上に着くと、大量のススキで目の前は何も見えず、トボトボと家に帰ったのを覚えています。


僕の家にはゲームがありませんでした。小学生の頃は、ちょうどDSというゲームが流行った時期でした。友達同士がポケモンの通信をしているのが羨ましくて仕方なかったです。どうしてもDSをやりたかった僕は、段ボールでDSを作りました。コミックに載っていた写真を参考に、ボタンを書き、画面を枠取りました。画面の中に切り込みを入れ、その切り込みからマリオの段ボール人形を出現させたのです。あの時、僕の手のひらには間違いなくDSがありました。


僕の家には、テレビのアンテナがありませんでした。テレビそのものはありましたが、アンテナがないので、ただの鉄の塊です。テレビをつけても何も映りませんが、VHS(今で言うブルーレイ)は見られました。仕事を手伝いに来てくれる叔父が、録画してくれたスーパー戦隊や仮面ライダーを、暗記するほど何回も見ていました。学校に行くと、放送された仮面ライダーの話で持ち切りです。ゲームを持っていなかった僕ですが、叔父のおかげで仮面ライダーの話にはついていけるはずです。ところが、おかしなことに全く話が嚙み合いません。友達の仮面ライダーの話は、僕が知っている仮面ライダーの話ではないのです。それもそのはず。叔父は2週間おきに来ていましたので、僕が見ている仮面ライダーは、友達がリアルタイムで見ている仮面ライダーの2週間前の回です。僕は、学校にいけば常にネタバレをされていました。当時はその現状をよく理解していませんでした。みんな専属の録画おじさんがいるものだと思っていました。その後、アンテナの存在に気付いた僕は、小学4年の誕生日にテレビのアンテナを買ってもらいました。


 僕の家には炊飯器と電子レンジがありませんでした。圧力鍋で炊いたご飯を食べていました。電子レンジがありませんでしたので、冷めたご飯がもう一度息を吹き返すことはありません。つめたいままです。炊飯は一日一回というルーティーンでした。基本的に朝が炊きたてでしたので、夕飯は冷たいご飯です。母が作る熱々のカレーと冷えきったご飯、サクサクの揚げ物と固まったご飯。稀に炊飯ルーティーンの歯車が狂い、夕飯に炊き立てが出る時の幸せと言ったらありませんでした。ばあちゃんの家に行った時、冷たいご飯を1分程度で温める電子レンジに衝撃を受けました。


 僕の家には野菜がありました。野菜は常に当たり前にあるものでした。巨大なボールに大量の野菜を入れたサラダを毎日食べる。そこに違和感も特別感もありません。味を意識したことなんてありません。あるから食べる。いや食らう。母の作る餃子は1%が肉、1%が皮、98%が野菜です。刻んだ白菜が餃子の皮を破ります。「夕飯はエビフライだよ」と言われて食べてみたら、人参のフライだったこともあります。どうりで尻尾がないわけだ。家で食べる野菜はすべて産地直送、正真正銘採れたてのハネ野菜です。僕が食べてきた野菜は超新鮮でした。そして綺麗な姿形の物は一つもありませんでした。姿形を気にしたことはありません。農場で働くようになって、自分が食べてきた野菜を自分で「ハネ」ていく作業は苦しいものがありました。ただ働き始めて気づいた事もあり、食べ物の食べ方として、昔野菜を食べていたように「細かいことは気にせず、あるものを食べる」という食べ方が、僕は好きなのだと気付かされました。それが、生きる事なのかと自分では思っています。


 野菜が常に家にある、めちゃくちゃ幸せな事です。ただ、僕はそれに慣れすぎていると思います。おそらくみなさんが、ゲームとテレビのアンテナと炊飯器と電子レンジに慣れているように、野菜がある事に慣れてしまっています。身近にある、慣れすぎている幸せ、それをありがたく思えるようになるのはまだ先な気がします。今は、ただ農作業が楽しい、ただ美味しい、ただ面白い、そんな感情を大切にしていきます。


萩原駆


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