「農場のメンバーを野菜に例えたらどんな野菜だろうか」という話が流行った。発端はタツさん。「昨日うちの嫁さんが、私を野菜に例えたら何?って聞いてきたんだよ。何かの資料に書かなくちゃいけないらしくてさ。」と。そう言えば、学生の頃に友人が「あなたを野菜に例えると何ですか」と就活で聞かれたと言っていた。当時、巷によくある陳腐な質問の一つに過ぎないと思ったものだった。
「ゆきちゃんはジャガイモだね。他の野菜が好まないような酸性土壌でさえも物ともせず逞しく成長していくところ!」ゆきさんは見た目の可愛らしさとは裏腹に、細かい所を気にせず「えへへ~」と笑いながら突き進んでいく強さがある。ジャガイモの逞しさは、ゆきさんの逞しさそのものだ。ゆきさんは葉物野菜リーダーとしていつも何人かの人を束ねて小分け作業を進めるのだが、これがいつも手際よい。何の料理にも使える万能なジャガイモのように、ゆきさんは農場でマルチに活躍し、愛されている。
「みおちゃんは三つ葉みたいだよね」といったのは誰だっただろうか。なんでも「しみじみとした趣があり、かつ他では変えられない強さがある」だそうだ。これは三つ葉のとらえ方が素晴らしいし、みおちゃんの事を絶妙に形容している。みおちゃんは、静かで欲がなく仏のような子なのだが、時々「これがやりたい」と誰よりも強い意志で仕事を担う。去年に引き続きミニトマトと出荷事務を担当していて、メキメキと力をつけていてカッコいい先輩なのだ。女性陣の中で真っ先に刈払機(草刈機)をマスターしたのも、みおちゃんだった。彼女のゆるさと力強さの併せ持ちは、唯一無二。他の誰かでは変えが効かない、クセになる独自路線だ。三つ葉の、一見ひ弱な草姿でありながら、厳しい冬を越しても再び新芽を伸ばす力強い生命力もまた、彼女のしなやかな強さと似ている。
一見、何の深堀りもできないような「野菜に例えると何か」というこの質問は、ある人が見た人間像を、その人の野菜像に乗せて説明することで、人間像と野菜像が一度に知れてしまうオイシイ質問だった。私達のらくらスタッフの野菜像が、深くて面白くてしょうがない。そりゃそうだ、みんな、毎日野菜を見つめ、野菜の事ばかり考えているんだから。
ズッキーニのイメージはこうだ。何にも負けないパワフルさ。時に収穫する私たちがボロボロになるほどの爆発的収穫量を、わが身を削りながら「バチコーン!」とたたき出してくるところには畏怖の念を抱かされる。緻密な肉質でジューシーで美味しさ絶品。のらくらのズッキはそんじょそこらのズッキとは一味違う、魅力の底なし沼。それをもって私がズッキで表現したかったのは萩原代表だ。誰よりも働き、誰よりもオラオラと突き進む、とてもかっこいい野菜、もとい萩原さん。
しかしマッキーには「本当の意味でのらくらにはズッキーニ的な人はいない」と言われた。なぜなら「のらくらは細部まで緻密に練る戦略的農業をしているんです。繊細さとは程遠い、圧倒的パワー系な生育をするズッキーニは非のらくら系野菜です」と。冬の緻密な戦略会議こそがのらくらの根底であるという話は何度も聞いている。去年夏季スタッフとしてのらくらに入った私はまだそれを経験していない。今年は通年スタッフとして冬も在籍する事になっているので、戦略会議に参加できることが待ち遠しい。
その後マッキーはカーリーのことを長芋だと言った。その心は「芽立ちの頃の、繊細で華奢で、じつに丁寧な生育をする姿が、カーリーの確実で丁寧な仕事ぶりと似ている。そして気付けば地下ではあんなに立派な成果を実らせているところもカーリーらしい」。この説明には感服した。栽培者ならではの視点がかっこいい。
長芋は生育初期、細く小さな蔓状の芽なのだ。ほんの少しの力でポキンと折れてしまう。巻き付く場所を探してさまよって、弱々しい。しかしその蔓は、確かに支柱に巻き付いて、確実に天に向かって伸びていく。そこを小柄なカーリーの丁寧で確実な仕事に重ねたところがニクイ。のらくらで3年目を迎えた彼女は、育苗や出荷の繊細な仕事を丁寧にこなしながら、巻き付く場所を見つけた長芋のように、力強く成長している。
私はカボチャと言われた。カボチャは、ぐんぐんと枝葉を伸ばし、根圏を広めて、他の野菜とは比べ物にならない程に圧倒的に畑を占有していく。存在感強いよね、と言われがちな私のようなのだそうだ。イメージカラーは黄色、私の車の色も黄色。なるほど…今年もおいしいカボチャが採れるといいな!
のらくら農場は、小さな畑セットそのものだ。個性的で素敵なスタッフが、季節ごとに主役の座を譲ったり譲られたりしながら活躍していく。スタッフ達は絶好調な時もあれば、調子が良くない時だってある。そんな皆が、そろって、助け合って、輝きあって、充実した野菜セット(農場)になる。さてさて、これからの暑い夏、みんなの力でおいしく元気に乗り切ろう!
カボチャのめい
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