美術大学を卒業した春、農に携わると決めた。食べることや食材に手を加えるのが大好きだったこと、自分で食べるものをつくれるのは生きものとして強いなと思ったこと、大学で専攻していた染織を、野山の草木をつかってやってみたいと思ったことが大きな理由です。のらくら農場へは冬までのつもりで来たけれど、美味しいやさいたち、仕事の楽しさ、長野の食材の豊かさに惹かれて今年もまた春からお世話になっています。
去年の夏は、ピーマンやズッキーニ、トマト、インゲンなど夏のやさいの収穫に毎日はいって、毎日穫れるのに次から次へとピカピカの実を結ぶのだから凄いよなあと、やさいたちに尊敬の念を抱いたのだけれど、今年は育苗に関わるようになり苗たちのスピード感に圧倒されたのでした。
毎朝ビニールハウスで顔をあわせるたびに昨日よりも確実に、目に見えて大きくなっているミディトマト。日に日に背は高くなり、葉は繁って重なり合っていく。朝にたっぷりとやった水がお昼にはもうからからになって、こうしてやさいたちは成長していくのだと身をもって実感した。たったの一晩でぐんぐん大きくなる圧倒的な強さよ!どうしたって惹かれてしまうなあ。
かぼちゃやきゅうりは土から顔を出したかとおもうとすでにぷりぷりとした肉厚なからだで、そんなエネルギーに満ちた姿を見ているとじんわりとあたたかいため息が出るような、そんな気持ちになる。そして数日後には堂々と大きな葉を広げているのだ。なんて速いんだ!脳がぐらっときます。定植を終えてしばらくしてからその畑へいくと、ほんの指先くらいだった小さな種の頃なんて思いだせないほど大きくなっている。驚くと同時にちょっと胸がきゅうくつになる。やさいたちのいのちの速さが羨ましい。どうしても、人のいのちはゆっくりだなと思ってしまいます。わたしたちは目に見えるようには日々変化しないし、能力的な意味でも毎日確実に良くなっていくというのはなかなか難しい。そういうことがもどかしいと思うときがあります。でもやさいたちは半年でいのちを全うするのだからそれでいいのだ!人は人、やさいはやさい。 人は百年かかるのだから。
毎日苗のお世話をするようになり、去年よりもうんとやさいたちと近くなって、彼らの一生を目の当たりにして、その混じりけのないエネルギーにわたしものまれてしまったようにおもいます。細胞が沸きたっているみたいな、妙に興奮しているような、ちょっと脳が浮いているような感覚がある。日々確実に大きくなっていくものを見るというのはシンプルに心が軽やかになるし、気持ちがいいことだなあ~。こうしてできた、すみずみまでエネルギーにみなぎっているピカピカのやさいたちに包丁をいれるのもまた、日々の喜びになっているのでした。
ゆき
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