↑7月にお届け予定の松本一本ネギの苗です。
全部の苗を1枚目の写真くらい太く作りたい!
私は農業界入りして8年くらいになりました。少しずつだけど、農業者らしく「見る」事が変わってきました。まだまだ未熟ではありますが、農業を通して世界を見たいと思ってこの世界に飛び込んだ私が、日々見ている景色を少しお話ししてみようと思います。
最初の5年くらいは例えば収穫の時、見ても見ても見逃しがありました。戻っては収穫したり、揃えて採ったはずの野菜の大きさが揃っていなかったり。師匠のようにかっこよく出来なくてずいぶん歯がゆい思いをしました。目が慣れてくるまで、植物の色の違いや形の違いはなかなか見えないんですよね。ピーマンやインゲンのように、実も樹も緑色だと特に難しくて、全然実が見つけられませんでした。他にもトマトの脇芽や、今日取るべき雑草なども、見ているつもりでも見つけられなくて苦戦しました。今では、ピーマンの実は樹に紛れることなくそこに見えるし、見えるから採ればいい。トマトの脇芽はどう見ても脇芽で、色の淡さも形も主枝とはまるで違う。そんな風に見えてきました。それでもやはり気をつけないと見逃しはするので、今でも全集中で凝視します。私は飲み込みが早い方ではないのですが、好きこそものの上手なれ。これからもじっくり積み重ねていきたいです。
畑へ行ったらもちろん畑を見ます。畑を見るって何でしょうか。まず全体を俯瞰。作物が消えていっているとか(虫とか水が悪さして作物が消えることがありま)、色がおかしいとか、生育の異常はないか確認。今の生育ステージ(どのくらい育ってきたか)も確認。マルチがはがれたり水が溜まっていたり畑のトラブルも確認。今度は作物に近寄って凝視して、来週の収穫予定に間に合うのかな、追肥のタイミングはまだかな、病気や虫はいないかな、と確認します。この精度も、年々色んなトラブルを見てきて経験値が蓄積されてきたので少しづつ上がってきているような気がします。今の時期のこの作物、何に気を付けるべきだったかなと様子を伺います。
収穫中は、今の状態はどうかな、固かったり避けて採るべきところはないかな、普段と何か様子の違うことはないかな、今日ここまで採ったら残りは何キロくらいだな、あと何日くらいはここで収穫できるかな。次の畑の小松菜はどんな大きさになっているか見ておかなくちゃ。こんなことを見ています。のらくらのスタッフには担当の作物が割り振られていて、日々こういった観察が求められるので、皆1~2年でも観察眼が育っていくのがすごい。私は本当に時間をかけてゆっくりと成長してきたのになぁと驚きの連続です。
作物の異常は、「この時期はこういう病気や現象の傾向がある」という知識がついてきたので気付きやすくなってきました。初めから「そろそろベと病の時期だな」と思っていればべと病があるのをすぐ見つけられるし、「追肥はいつかな」と思って作物を見ていれば肥料が切れてきた時にもいち早く気付けます。でも今年初めて担当させてもらっている育苗 (苗を作る仕事)は、何が正解か分からない中での仕事。異常に気付くのは難しく、「見れていないな」とよく感じます。「レタスの定植まであと1週間の時、苗の大きさはこれでいいの?」「鉢上げした後のトマトの葉色が悪いけれど大丈夫かな?」異常に気付くのは ここ数年育苗を担当している幸代さん。同じ様に見ているつもりでも、見えていないものです。そもそも私は見る力が優れているわけではなく、「見たつもり」になっている傾向があります。これは最初の2年くらいで思い知ってきたので、それならばと知識と経験の詰め込みで対応してきたつもりでしたが、未知の事に対応する能力は何ともなっていなかったなぁ…。改めて「見たつもり」から脱却したいと思います。
「じっと凝視する」の落とし穴が「周りを俯瞰して見られなくなる」。特に作業中は自分の手元に集中したくなりますが、意識して顔を上げて周りを見なければ、異常に気づけません。のらくらには毎年期間スタッフさんが来てくれます。「初めての農作業でやり方が分からず戸惑う」、「最初は出来ていたけどなんだか途中でやり方が違ってきちゃった」というのは毎年必ずおこる当たり前の事。多品目栽培は1年に数回しかやらない作業も沢山あるので、記憶があいまいなまま 私自身が間違ったやり方をしてしまっている事もよくあって、それらの「異常にいち早く気付く」というのは長年いるスタッフ達の課題になっていくのかなと。でもこれが本当に難しい…。手元、見ちゃうんですよね…。時々顔を上げてキョロキョロ。これを忘れないように。私の作業は間違っていないかな、新人さんの周りに何か違っていた時に気づける2年目以降の人がいるかな、ペースメーカーとなる人は散らばっているかな、私よりもっと早く上手に作業している人はいないかな、私のいるポジションはここでいいのかな。5月からは期間スタッフさんが合流します。スイッチを入れてキョロキョロしよう。手元に集中している場合じゃない!
新人さん側からしたら、入れ替わり立ち代わり何人ものひとにやり方を指摘されたらいやな気分にもなってしまうかもしれない。しかも言っていることがみんな違う、なんてこともありかねず、難しいのですが、日々変わる作物側の事情、ベテラン側も意外と皆初心者(農業は10年やっても新人とも言われる事もあり、私もまだ分からないことだらけの中で日々を過ごしています)、というのもあり、受け取る側の器に頼ってしまうこともあります。
伝え方と言えば先日、えーちゃんこと矢沢が私にシール貼りの早いやり方を教えてくれました。「効率よくなる、早い」は私の大好物。貼り名人のミオちゃんにはまだ追いつけないけれど、少し早く貼れるようになって俄然気持ちよかったです。この時矢沢は、すごく気持ちよくやり方を教えてくれました。私はつい「これこうだよ」と最短で話して終わらせようとして、伝わっていないし相手がいい気分になっていないという事があります。せっかちで人とかかわるのが苦手と自覚する私にとって「伝え方」はずっと壁になっている事なのですが、最近学んだ心理学のPCM(6種類の基本分類で人間の性質をシンプルに分類、その掛け合わせ数千種のパターンにより、生後3年くらいで決まる人間の基本性格をとらえる実践的コミュニケーションツール)によると、人生の優先順位が違うのが原因の一つのようです。
PCMによると、私は特に「効率・熱意・とにかくやる」というアツアツ精神だけをベースに持っているタイプの珍しい人間に分類されるそうです。「早くできる・上手くできる」がなによりも快感。「これこうだよ」の最短指摘は心地よい言われ方。要点からの脱線や、遅々とする会話に苦痛を感じ、好きなことにのめりこむと傍から見たら欠点指摘屋のように思われてしまうタイプです。
他のタイプとしては、気持ちに寄り添い荒波を立てることに苦痛を感じる「共感」がベースの人、「楽しいし早くできるね」「早くできたから身体も楽で心地よい」のように「楽しい・心地よい」がベースの人など。
「早い」へのモチベーションも人それぞれで、私のように「早くできるようになる」がとにかく快感という人だけではないという事が客観的に理解できました。因みに私のタイプの人は自分にとってストレスになる「上手くできない」が蓄積されると「イライラ」になって現れます。「楽しい・心地よい」がベースの人は「心地よくない」が蓄積されると「悲しい・つらい」になって現れます。
ゆっくりやってイライラしない人がいるわけも、私が人より作業の習得に執着していた理由もわかりました。「相手のタイプを見極めて、相手にとってよさそうな言い方をする」がベストで「私の言われたい最短指摘」は、相手によってはミスコミュニケーションだとやっとわかりました。ちなみにPCMは映画会社ピクサーのキャラクター作りにも使われているそうで、実践的な性格分類手法なのがとても面白い。日々に落とし込みながら学んでみたいと思います。
多分、無知の知と言うように、分かってきたと思っているうちには見えないことが沢山あって、農業歴26年とかの萩原さんの目に見えていることは、私の見ている畑の景色より幾層もの深い視点の積み重ねなのでしょう。同僚のみんなの積み重ねてきた人生で見えている世界は、私には見えていないことを沢山見ているでしょう。私ももっともっと、色んな世界を、農業を通して見ていきたいです。
かつて働いた色々な農場で見てきた記憶。師匠たちが手で触れると、作物がスッと美しい姿になる。剪定や誘引、除草、収穫、出荷のための調整。速くて正確で美しい仕事姿が、今も脳裏に焼き付いています。私の見てきた人々の姿は、いつか私になっていくのかな。去年の期間スタッフだったツッチーが槌本農園のインスタに「どうやってやるの?はうちでは禁句で、まずはやってる人の作業を見て真似をしなさいがウチのルールです」と息子さんの写真を投稿していました。なかなか様になっている小さな子どもの収穫姿、とてもかっこよかった。私も周りをよく見て、目に焼き付けて、5年目ののらくら農場も楽しんでいこうと思います。
塚原芽衣
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