暦では霜降ー。露が霜に変わる頃、山々は紅葉し、農場の野菜も色物が加わってどこか紅葉しているように思えます。農場のある佐久穂町は初霜が10月20日頃と言われているそうですが、今年はちょうどその日に初霜が降りました。佐久穂の寒さは凍る寒さです。積雪は比較的少ないですが、地面が凍り、土が浮いて見えるほどです。冷蔵庫は冷やすための道具ではなく、凍らさないための道具として使われます。一枚、また一枚と重ね着をしてスタッフの身体もひと回り大きくなったように見えます。畑にはまだまだたくさんの野菜が植っていますが、冬はすぐそこのようです。
季節は巡って昨年。初めてのらくら農場を訪れたとき、私は賄いを作りました。食卓につき食事を共にしましたが、当時、町で一人暮らしをしていた私にとって大勢で囲む食卓は少し小恥ずかしく、それでもとても暖かな時間でした。その時、農場スタッフの箸を動かす手が真っ黒で、私は失礼ながら「みんな、手も洗わずに食事をするのか」と驚きました。それから時が経ち、ひと夏を農場で過ごすことになった私は、ある日の賄いでふと、あの時の皆と同じ手で箸を持っていることに気付き、ふふっとしたのです。
農場での仕事はともかく手を使います。小さな種をポットに一粒づつ指先で入れていく。種が入ったら土を被せる。覆土と呼ばれるこの作業。担当したとき、しっかりと土を被せすぎてしまい発芽率が悪かったことがありました。単純そうな作業ですが被せる土の量が発芽に大きく影響します。水や温度管理を徹底し、育った苗は一株ずつ畑に定植していきます。軽トラックに苗を敷き詰め、広い畑にその苗を植えていく作業は一見気が遠くなりますが、気づくと向こう側から植えてきた人とぶつかり、顔を上げるといつしか閑散としていた地に苗が等間隔で整列しています。小さなポットの中で根を張った苗を広い畑に「どこまでも根を巡らせて」と解き放つようで、私はこの作業がとても好きでした。それから頼りなかった苗はぐんぐん大きくなり、目を離しているとすぐに花を付け実をつけます。こうして実るまでも施肥や灌水、作業が絶え間なく続いていきます。
日々、だれがいつ手を広げてみても真っ黒です。手を洗っていないのではなく、手を洗っても洗っても土の色が落ちません。休日にお洒落をして出かけるとなんだか恥ずかしく思うこともあります。それでもこの手は農場にいる証しのようで嬉しくもあるのです。
農閑期が近づき、約半年の雇用期間も満了となり、東京での次の新しい仕事もはじまりました。朝のアラームはそのままにして毎朝、朝の日差しを浴びています。せわしない日々の中でも時計を見ては「お茶の時間だな」、「そろそろ収穫だな」と、はっとします。心なしか、東京の空は農場よりも日が長く感じられます。あの凍てつく寒さも感じられません。ひと回り太くなり土色で汚れ皮膚が荒れた手は、1週間もしたら元どおりになりました。淋しくもありますが、触れたもの全てを身体に染み込ませて、また新たな土地でも手を休ませず動かしたいものです。
さて、農場で収穫された野菜は、全国の食卓に届けられます。またどこかの手で調理され食べられているのだと思うと、どこかタッチしているような、遠くにある食卓を近くに感じることがあります。なかなか直接会えない今の世の中で野菜を届けられるということもまた嬉しいことです。私にも再び訪れた野菜を購入する日々に、食材を見る目も変わりました。選ぶ素材の向こう側に、この夏みた景色が広がっているようで、また想いを巡らせています。
ひな
佐久穂町の管理栄養士だったヒナさん。東京のレストランに転職するタイミングでコロナ禍に。レストラン再開までの期間、のらくら農場で働いてくれました。そして今は東京のレストランで頑張っています。
紀行
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