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ヒストリー

のらくら農場のこと

千葉県生まれの会社員だった代表の萩原紀行26才。パン屋さんに勤めていた埼玉県出身の妻幸代25才。紀行のほうは、メーカーの営業職でした。会社も若い人が多く、とても充実した会社員生活でした。ただ、食生活が乱れすぎて、ある日、全身蕁麻疹になりました。薬を飲んでもひどくなるばかり。大きな病院で診察してもらうことにしました。今考えると担当して下さった女医さんは名医だったと思います。

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まず、僕の生活を聞かれました。睡眠時間、食事、仕事の時間、家族の有無。睡眠時間は5時間。タバコは吸わない。お酒は缶ビール一本程度。特にひどかったのが食事。3食ほぼ外食。時間がないので営業車を運転しながらおにぎりを食べるだけのときもある。23時まで仕事をするので、大体4食食べる。深夜12時位に夕飯。学生時代に弁当屋でアルバイトしていたので、僕は料理も好きだし、できなくはないのですが、なにせ時間がない。

女医さんはこう言いました。「それはジンマシンが出て当然です。」紙を取り出して、バケツの絵を書いてくれました。

「ここにバケツがあります。この中に病気の要因が毎日入り込んでいます。睡眠不足、お酒の飲みすぎ、タバコ、食事の問題、ストレス、過労などいろんなものが放り込まれます。このバツの大きさは人によって違います。大きいのか小さいのかは誰もわからない。80歳までタバコを吸っても大丈夫な人もいる。ある日これが満タンになります。溢れたものは、例えば40歳でガンなどの重篤な病気になって現れることがあります。家族もいる働き盛りの40歳です。私はこういう例を何度も見てきました。萩原さんはこのバケツの中間あたりに穴が空いたんです。ピューッと漏れた水がジンマシンです。だからとてもラッキーなんですよ。ジンマシンでは死にませんから。ジンマシンをとりあえず薬で抑えることはできます。でも治りません。あなたの生活を変えないと治らないのです。」

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この後も、薬は強くなるのですが、治らない。農業を志すことになって、埼玉県の師匠の農場に住み込みで勉強させていただくことになりました。朝早く起き、野菜中心のご飯を食べて、夜は早く寝る。どんな薬も効かなかったのに、たった二週間で蕁麻疹が治ってしまいました。

結婚と同時に長野県八千穂村(現佐久穂町)に移住して1998年に農場をはじめました。起業なんてカッコいいものではなく、こっそりと世の中の端っこで始めた感じです。


常に全力でやってきたのですが、うまくいったり、うまくいかなかったり、それが何故そうなっているのかわからない3年を過ごした頃。土壌分析と出会い、初めて客観的に自分の行為を見ることができるようになりました。最初はセット野菜を直接各ご家庭にお届けするスタイルのみでしたが、このころからおそるおそるお店に出荷できるようになりました。

 

生協さんとおつきあいするようになってから、スタイルがまた変化しました。何週間前からカタログに載ってしまうので、欠品出来ません。約束通り、狙って作る必要が出てきました。最初は難しく、眠れない日々でしたが、今では「狙って作る」は当農場の得意分野になりました。

それから、佐久穂町の仲間と土壌分析の会を作り、良質なオーガニック資材の共同購入のグループを作りました。共同出荷グループも作りました。理解し合える仲間のおかげです。当農場からも何人も独立し、その家族を含めると40人近くがこの佐久地域に移住してきました。今では、佐久穂町は全国有数の新規就農の町です。

2016年くらいから、出来た野菜の栄養価分析を始めまして、栄養価も「狙って作る」ようになりました。少しずつ面積も出荷量も人も増えていって、2020年現在、栽培面積は約6.5ha。ハイシーズンは16名で運営しています。特にブレイクすることもなく、少しずつコツコツと伸びてまいりました。

コツコツとは、なかなかに力強いものだと思えます。浅間山が畑から見えます。「あの浅間山を右に一メートル移動せよ。スコップで。」というミッションがあっても、できるんじゃないかと思えます。

代表メッセージ

のらくら農場のサイトを覗いてくださりありがとうございます。

標高1000メートル、八ヶ岳の北斜面にのらくら農場はあります。

へんてこりんな名前の由来は、「のらりくらり、野良で暮らす」からきております。

僕が26才、妻が25才の頃、この農場をはじめました。

僕は、全く休まずに働く性格でしたので、妻がせめて名前だけは「のらりくらり」いきたいと命名しました。ですから、現実はまったくのらりくらりしておりません(笑)。

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​萩原紀行

1971年、千葉県松戸市生まれ。​大東文化大学経済学部卒業後、東洋エクステリア株式会社(現LIXIL)に営業職として勤務。退職後、埼玉県小川町の霧里農場に11か月の住み込み研修を経て、1998年に長野県八千穂村(現佐久穂町)に就農。​夫婦で75aから小さく農場を始め、現在は約7.5haで約50品目の作物を有機栽培している。2014年、「TEDxSAKU」で『集合知の農業へ』を講演。2022年、同文舘出版より『野菜も人も畑で育つ――信州北八ヶ岳・のらくら農場の「共創する」チーム経営』を出版。「ICC FUKUOKA 2023」のフード&ドリンクアワードにてグランプリを受賞。
 

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都会の勤め人だった僕が農場を初めて22年が経ちました。夫婦で小さくやっていた農場も少しずつ増えてきて、ハイシーズンで16名くらいの人数になっています。年間50~60品目の野菜を栽培しています。勤め人の時代に、部下を持ったことがなかった僕は、チーム経営の難しさに七転八倒してきました。

そのたびに、「こうしたらいいのかも。」と変化してきました。

書ききれませんが、今だどり着いたスタイルは、次のようなものです。

「怒ることを禁止」のルール

ピリピリした雰囲気で仕事をしない。ピリッとした雰囲気が僕は好きです。怒鳴り合うような職場では、ミスがあっても隠す方向に行きます。ミスが繰り返し起きたら、人をせめるよりも、原因を突き止めて仕組みを変える。ミスを拾いあい、仕組みを変えるアイデアを出し合って解決に導きます。

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「横に立つ」コミュニケーション

基本的に、人の正面にたたない。「いついつまでにこの仕事をやっておくように」というように指示する側とされる側に分かれても、あまり良い結果が生まれませんでした。横に立って一緒に資料を見て、「これどうしようか。」「そろそろ片付けないとならないですね。」と伴走者として一緒に解決するチームになる。それは農場外のお取引先様とも、意識してやるようにしています。売り買いの立場を超えて、一緒に問題を解決していくチームになっていく。

「誰にでもできる簡単な仕事」にしなくていい

のらくら農場が人材募集するとき、困ったことがあります。私達の栽培は、科学の知識も必要な非常に複雑な仕事です。体も使いますが頭も使います。よく求人広告にある「誰にでもできる簡単な仕事です」のせりふを書くことが出来ません。正直に「複雑で体力も頭も使います。」と書くと、学ぶ意欲のある素晴らしい人材と出会えることが出来ました。開き直って、僕たちの農業スタイルを産業としての高度化をしてしまうことにしました。誰にでもできる仕事ではないスタイルを作っていこうと思います。

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「農業とはこういうもの」という枠を溶かす

栄養価分析をしています。おかげさまで、2019年の栄養価コンテストで3つの作物を出品しまして、レッドケールは優秀賞、グリーンケールとかぶの2品は、最優秀賞を受賞し、総合グランプリもいただくことが出来ました。私達が畑で科学的な有機栽培を実践していることが、医療との距離を少し縮める手段になってきました。僕も中堅の年齢になってきましたが、自分より若い人に「農業とはこういうもの」という言葉を言わないように気をつけています。それを決めるのは今実践している人と、これからの人です。枠を溶かし、新しいスタイルを作っていけたらと思っております。

『評論家ではなく解決者に』

これは、僕が以前勤めていた会社の社長が入社式に送ってくれた言葉です。いろんな問題が目の前にある。それを評論するだけでなく、解決者になってほしいとおっしゃられ、背筋がビッと伸びました。以来、これをエネルギーにしています。

小さなことからちょっとずつ解決していく。久々に後ろを振り返ると、とんでもなく変化できていた、と実感します。

代表メッセージ

空からみた、のらくら農場

お客様から『野菜を食べている時に、そこの風景を想像しながら食べているんです。それは、ただ食べているのと違う気がするんです。収穫祭に参加して、その想像していた風景が目の前に広がっていて自分でも驚きました。見に来ることができてよかったです。』というステキなお話をうかがいました。

 

料理には5つの味「塩味・甘味・酸味・苦味・辛味」がありますが、のらくら農場の野菜は、素材に<旨み>が加わるように栽培しています。そして、今回のお話で<風景>も加わったら―――食べることがもっともっと楽しくなりそうだなぁと思まいました。自然の中に住んでいるとすぐに忘れてしまうのですが、ここで仕事をできる幸せを感じながら、この風景を大切にしていきたいと思います。というわけでのらくら農場から風景のおすそわけ、写真とショートストーリーでお届けします。

撮影時期は2020年9月くらい、農場を訪問された学生さんの南さんが撮影してくださいました。夏野菜と秋の野菜が同居する季節です。何の野菜か当ててみてください。

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